書道とアート

こんにちは! いやー、お盆休みが終わってしまいましたね〜。
今に始まったことではありませんが、おやすみってあっという間に過ぎ去ります。
そして、いつも同じ感想を抱きます。
お金の心配さえなければ、いつまでだって、休んでいられる!(笑)
お盆休みはちょこちょこ家からお出かけしていたのですが、新宿高島屋で行われていた武田双雲さんの個展?を見に行ってきました。
どうやら初の作品集「TAGBOAT」の販売開始にあわせての個展だったようです。 
えーと、以下、びみょうなコメントなので、武田双雲さんのファンの方はご退出ください。

武田双雲

最近、ふとしたことがきっかけで、書道にも興味がちょっとあります。
その道のことはよくわからないので、事前のお勉強なく、フツーにふらりと遊びにいったわけなので、お門違いなコメントになってしまうかもしれませんが、素直な感想をいうとすると、
「こりゃ、書道じゃなくて、アート?だね」
です。
書道っぽいテイストを持った、もしくは書道の表現方法を用いたアート。
ある意味、すごい違和感を覚えました。
たぶん、それは、わたしが期待していたものは、「(わたしがイメージするところの)書道」異なっていたからだと思います。
この違和感は、井上雄彦さんの「最後のマンガ展」で墨で描かれたバカボンドのイラストを見たときとまったく同じ違和感です。
なんか、こういう言い方はおかしいのですが、よくもわるくも、(私が理解するところの)本筋からすると「なんちゃって」でしかない。
武田さんの作品は「書」ではないし、井上さんの墨1Cの絵はいわゆる「墨絵」ではない、と。*1
そういうわけです。
そのせいで、なんだか、いまひとつピンとこなかったというのが、ぶっちゃけトークですかね。これを言ってしまうと大変キケンな気もしますが、彼の書に「文字そのもの……漢字に宿るオリジナルの力=言霊」はなかったように思えます。
少なくとも、わたしには伝わってきませんでした。
彼が描きたい、伝えたい、と思っていることはなんとなくわかりましたけど……そういう意味で、武田さんは思想家であるといったほうが正しいかもしれません。
武田さんや井上さんの成り立ちがわるいといっているわけではありません。
表現方法はいろんなものがあってよいと個人的には思いますし、わたしが何らかを彼らに期待するのは、わたしの勝手な思いであるわけですので。
期待する内容が違っていたとしたら、それは私の方が修正すべきことであると思います。
次回、なにかのきっかけで彼の作品を見に行くことがあれば、別の視点で見てみたいと思います。
とはいえ、「文字(書)」であれば、京都のお寺とかにある歴史を経て伝承されてきた文字をみるほうが感動すること必至な気がするのもまた事実なのですが……。
というか。
高島屋で見つけたヴィレロイ&ボッシュの↓の限定モデルのほうがよほど感動しました!(笑)
ヴィレロイ&ボッシュ

めちゃめちゃかわいい〜!
ヴィレロイ&ボッシュらしい、華やかでインテリア的な存在感を演出するテーブルウェア。
マジで、ほしいです!

*1:井上雄彦さんの本領であるマンガ原稿は本物の輝きを放っていると思います……って、そうなると「書道家」であるはずの武田さんはどうなるのか……とちょっと思いますが